革堂行願寺卍19番

西国三十三所観音霊場第19番目の札所

 

革堂行願寺に行っきました

今日はGSくん(娘の息子)と一生懸命です

 

 

 

 

 

 

 

行願寺

別名「革堂(こうどう)」とも呼ばれています


行願寺を創建した行円上人は

仏門に入る前は狩猟を業としていました

ある時山中で雌鹿を射止めたところ

その傷口から小鹿が誕生しました

鹿は血まみれの小鹿の体を舐め愛おしんでいましたが

そのうち力尽きて死んでしまいました

その様子を見ていた行円上人は

今までの殺生を悔い

仏門に入りました

行円上人は死んだ雌鹿の革(皮)を常に身につけていたことから

「皮聖」「皮聖人」と呼ばれ

そのことから行願寺を「革堂」と呼ぶようになったそうです

行円上人が肌身離さずつけていたとされる雌鹿の革衣は

現在も行願寺の「宝物館」で大切に保管されています

 

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都七福神の寿老人がおまつりされている「寿老人神堂」もあり

都七福神御朱印もいただきましたよ〜


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幽霊絵馬

 

宝物館に展示されている若い女性の幽霊が描かれている絵馬

革堂の近くの質屋に奉公していた子守娘のお文は

浄土宗の御詠歌を子守唄代わりに口ずさんでいた

しかし主人は法華信者

子どもに浄土宗の御詠歌を教えたとして

お文を折檻して死なせてしまった

主人はお文の遺体を土蔵に隠していたが

お文の両親が革堂の千手観音に願をかけるとお文の幽霊が現れ

事の真相を語った

幽霊絵馬の若い女性の幽霊は

お文の両親が描いたものだという

 

 

花を見ていまは望みも革堂の 庭の千草(ちぐさ)も盛りなるらん

 

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