西国三十三所観音霊場第3番目の札所
HPから。。。。。。
開祖
大伴孔子古(おおとものくじこ)
宗派
粉河観音宗(こかわかんのんしゅう)
本尊
千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)
当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。
後日、一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)をかなえてやろうと、七日七夜、庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去った。
その後時移り、
そこへ童行者が訪ね来て千手陀羅尼を誦して祈祷、やがて娘の病は回復した。童行者は長者がお礼にと申し出た七珍万宝を断り、娘が捧げるさげさや(お箸箱)と袴のみを手に「紀伊国那賀郡粉河の者だ」とのみ告げて立ち去った。
翌年春、長者一家は粉河を訪れたが、探しあぐねて小川の傍らで一休み、ふと流れる水が米のとぎ汁のように白いのに気がつき、粉河の証しであることを確信、さらにその川を遡り庵を発見した。
扉を開けると千手観音が安置され、娘が差し出したさげさやと袴を持たれていたので、かの童行者は、実は千手観音の化身であったことが分かった。
この開創の由来は、当寺所蔵の粉河寺縁起絵巻(国宝)等にて伝えられている。
御釈迦様の足裏を象った仏足石
中門 「風猛山」の扁額 紀州十代藩主 治宝侯の直筆
三十三観音を安置する六角堂
西国33所 最大の本堂
願いが託された身代り地蔵
娘たちや孫たちの名まえを書いて
お願いしてきましたよん❤
参道
産土神社(うぶさうなじんじゃ)
地元では昔から親しまれているお宮で
「たのもしの宮」と呼ばれているそうです。