興福寺南円堂卍9番

 大神神社のあとは~~

 

西国三十三所観音霊場第9番目の札所

 興福寺南円堂に行きました

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最初は東金堂にお参りして~~


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東金堂は

726年(神亀3年)聖武天皇が叔母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願して

薬師三尊を安置する堂として創建された

創建当初は緑色のタイルが敷かれ

薬師如来浄瑠璃の世界が表されていたという
本尊は薬師如来

その後

度重なる焼失と再建を繰り返し

現在の建物は

1415年(応永22年)に再建されたもので国宝に指定されている

 

 

 

 

 

国宝の五重塔


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次は中金堂~


中金堂は長い寺史の中で7度の火災に遭い

1717年の大火で焼失した後は仮堂が建設されただけにとどまってきました

2018年に301年ぶりの復興になりました

堂内には仮金堂(現仮講堂)に安置されていた釈迦如来像を本尊として還座

薬王・薬上菩薩像(いずれも重文)が脇侍として安置され

須弥壇の四方は旧南円堂所在の四天王像がかためます


内陣には法相の14人の祖師を描いた「法相柱」が

現代の日本画家の畠中光享氏によって再現されています。

 

 


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そして

朱色の八角

日本最大級木造の南円堂~~

 

 


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興福寺は、飛鳥時代天智8年(669年)に

藤原鎌足の病気平癒を願って
妻の鏡女王(かがみのおおきみ)が京都市山科区に建立した山階寺が始まりで
和銅3年(710年)の平城遷都に合わせて藤原不比等が移転し

興福寺と改名されたそうです

ご本尊は国宝の「不空羂索(ふくうけんさく)観音坐像」

天才仏師である運慶の父・康慶と弟子たちが15カ月をかけて造立したとされています

高さおよそ3.4mの金色像

 

 

 

 

 


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